こういうニュースを見ていると、嫌でも学校に行かなければならない子どもたちに同情したくなります。
「タイツの色はベージュ以外認めない」という校則を巡り、生徒と高校の攻防を取り上げたものです。
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ベージュのタイツが良くて、黒タイツがダメな理由についての、校長の説明はこうです。
校長
「やっぱり紺のセーラー服、紺のスカート。そして白のソックス。これが斐太高校の制服ですよというふうにずっと見てきたし、見られてきた。周囲の高校は、紺だったり黒のタイツだったりするので、それとの区別というか。斐太高校はこうだっていう、そこへのこだわり。それを覆すだけの理由が出てこなかった」
意味不明です。せめて、もうちょっとまともな理由を用意してほしいものです。
おかしな校則って、いつになったら、学校からなくなるんでしょうか。
自分の頭で考える教育へ
学校教育は今、曲がり角を迎えようとしています。
小学校から順次、移行している新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」がキーワードになっています。
子どもたちが、先行きの見えない今の時代を生きていくには、自ら問いを立て、答えを探し、解決に動く主体性が必要となります。
テストで好成績を収めればそれでよしとはならず、自分の頭で考えて行動する力が求められるというわけです。
まさに、冒頭に挙げた、女子高校生たちの問題提起は模範的な行動です。
にもかかわらず、校長が訳の分からない理由で抵抗する。もう、謎でしかありません。
“スニーカーは真っ黒”という謎の校則
地元の靴屋さんで遭遇した出来事です。
スニーカー売り場で、制服姿の男の子が店員さんとやりとりしているのを見掛けました。
男の子が「この靴みたいな感じで、全体が黒いのはありませんか」とリクエストをし、店員さんは、要望に沿う靴を探して持ってきました。
店員:「こちらはどうでしょうか」
男の子:「いや…こうやって白いラインが入ってるとダメなんですよね」
店員:「そうですか。完全に真っ黒の方がいいんですね?」
男の子:「はい。校則が厳しくて」
何度も何度も、同じようなやりとりを繰り返していたので、気になって観察してしまいました。「一体、どんな靴なら、許されるんだろう」と。
白いラインの何が悪いんでしょう
一体どういう理屈なんでしょう。真っ黒じゃなきゃいけないって。
「周囲の高校は白だったり、紺だったりするので、それとの区別というか。〇〇高校はこうだっていう、そこへのこだわり」…とでも説明するんですかね。
仮にこういう理由だとしたら、完全な時代錯誤です。
他者との違いを認めない雰囲気を学校が作り上げるから、集団になじめない子どもがいじめられたり不登校になったりするわけで。
学校が率先して子どもの個性をつぶしてどうすんだ、と。憤りさえ感じます。
「ルールを守りなさい」と教える学校
たいていどこの学校でも、先生は子どもたちに「ルールを守るように」と教えます。
日本は法治国家であって、すべて国民は法の下に平等です。法律を守らなければ、しかるべき処罰が下されます。
ルールを尊重することは重要です。これは言うまでもありません。
けれど、「おかしなルールがあったら変えるために行動を起こしましょう」とは教えない。
これは、どう考えてもおかしい。
主権者教育はかくあるべき
法律は、国民の代表からなる国会がつくるからこそ、正当性があるわけです。それが、民主国家の基本中の基本でしょう。
ルールを守る義務を強調するなら、ルールを変える権利も教えないと。
近頃、選挙管理委員会が高校まで出向いて「18歳になったら投票できますよ」と周知し、模擬投票の機会なんかを設けています。
それも結構なことですが、自分たちの高校の校則について考える時間を取った方が、よっぽど生徒たちの理解も深まると思います。