ダレノガレ明美さんのツイートが議論を呼んでいます。
問題となったのはこちらのつぶやきです。
イノシシの居場所をとってしまってるのは
— ダレノガレ明美 (@The_Darenogare) December 10, 2019
人間だよね。
悲しいね。
食べるものがないから街に行くしかないのよね。
イノシシだって人間の住む街に行きたいわけじゃないはず。
だから、危ないけれども
イノシシを殺さないでほしいな。 pic.twitter.com/ss6rVaeEbi
- 「農家は被害にあっている」
- 「イノシシの怖さを知らない」
- 「なら、イノシシを引き取って」
などと、批判の声が殺到しているそうです。
ダレノガレさんの真意を読む
素直に読めば、動物愛護的な趣旨でつぶやかれたんだと思います。「人間の都合で命を奪ってほしくない」と。
それが、イノシシの食害に悩まされている農家さんたちの不興を買ってしまったというわけです。
ツイッターなんて、ふと思ったことをつぶやくツールなんで。真に受けて、批判するのも大人気ないような気もしますが。確かに、首を傾げてしまう部分はあります。
イノシシだって人間の住む街に行きたいわけじゃないはず。
“街”をどう取るかですけど、ダレノガレさんが引用している「危険!箱根イノシシ1㍍超商店街疾走」について言えば、きっと街にはイノシシにとっての“ごちそう”がたくさんあるでしょう。
だから、「人間の住む街に行きたいわけじゃないはず」の部分は、正しくないように思えます。
悪いのは人間?それとも、イノシシ?
わたしも、イノシシの怖さは知っています。でも、「イノシシ殺さないで」という率直な気持ちを否定するのも、なんだか違和感を覚えます。
さっそくこんなニュースになっていました。
筆者は、「そもそも『人間がイノシシの居場所をとっている』が誤解なのです」と断じて、イノシシの生息数が20年前から増え続けているデータを示しています。
さらには、ダレノガレさんの“誤解”を裏付ける根拠として、イノシシの分布域が広がる状況を示す地図や、イノシシの生息域となる森林面積が横ばいとなっていることを示すグラフまでも。
ようするに、イノシシの住処となる森林面積は変わらず、この20年でイノシシの数は増加傾向にあることから、「人間がイノシシの居場所をとっている」のではなく「イノシシが人間の居場所をとっている」のだと主張しています。
本当に“誤解”と言えるのか
確かに、20年前と比べたら、イノシシは増加傾向にあるのかもしれません。でも、“誤解”って言い切れるんでしょうか。
じゃあ、1万年前と比べたら?
当時は「縄文時代」。人口1億人の今と比べたら、人間の数はめちゃくちゃ少なかったことでしょう。
なんせ、鎌倉幕府が成立した1192年で、人口が約700万人ですからね。
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縄文時代は、狩猟と採集の時代です。
ダレノガレさんのように「イノシシを殺さないでほしいな」なんて言う人もいなかったでしょう。縄文人の目に、イノシシは“ごちそう”に映ったはずです。
人は自然の恵みに生かされていました。今のわたしたちの生活圏も、野生動物の住処である豊かな森林だったかもしれません。
陣取り合戦じゃない
わたしの住む地域もそうですが、 山は手入れが行き届かず荒れ放題で、里には空き家が遊休農地が増えています。
ハクビシンの被害が年を追うごとに増えています。人が住まなくなった空き家は、ハクビシンの格好の住処になるからです。
このままでは近い将来、里と山の境界線はますます薄れていき、イノシシやクマによる被害も増えることでしょう。他人事ではありません。
けれど、「人間がイノシシの居場所をとっている」のか、それとも「イノシシが人間の居場所をとっている」のか、この問いに対する答えは出ないはずです。
だって、それは主観の問題でしかないから。
👨:「ここは人間が住んでいるんだ。お前たちの居場所じゃない」
🐗:「お前たちだって山に入ってきて、きのこや山菜を取っていくじゃないか」
👨:「・・・・・」
🐗:「もう二度と山に入ってくるなよ」
想像してみると、子どもの口喧嘩のようなもんです。ようするに、“陣取り合戦”みたいな発想はナンセンスなんだと思います。
現実的な課題に向き合う
現実的な課題に向き合うとき、極論に振れると不毛な議論に陥りがちです。大切なのは、どうバランスを取るかです。
今回のダレノガレさんのツイートは、非難が殺到するべき配慮が欠けた発言だったのでしょうか。
人間と野生動物が適当な距離を保ち、うまく共生していけたらいいのに―。素直にそう願う気持ちには、意味があると思います。