「どうにも答えの出ない、対処しようのない事態に耐える能力」
これを、“ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)”と言います。
直訳すると、「消極的な能力」です。一見、不思議な言葉ですよね。
詩人のジョン・キーツ(1795~1821)が「不確実なものや未解決のものを受容する能力」をこう表したのが最初。その後、精神科医のビオンが再発見したそうです。
生まれてきたことを後悔する子ども。生き続けることに意味を見出せない大人。悲しいことに、自ら死を選ぶ人が後を絶ちません。
人生は解決できない課題と向き合うことの繰り返しです。
まさしくこの、ネガティブ・ケイパビリティが試される時代なんだろうな、と思います。
どうにもならないこと=死
人はいずれ死にます。どんなに立派でも、どんなに裕福でも、その結末を避けることは誰にもできません。
天寿を全うして死にゆくとき、わたしたちはその現実を受け入れなければなりません。
わたしは“ネガティブ・ケイパビリティ”という言葉を、終末期医療の文脈の中で、初めて知りました。
人生をどういう形で終わらせるか。納得いく最期を迎えるには、本人が自分の死を受け入れる必要があるというわけです。
お手本のような方が、樹木希林さんですね。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」という本のタイトルの通り、彼女は高いネガティブ・ケイパビリティの持ち主だったのかもしれません。
「普通に生きる」のが難しい時代に
ところが、実際には、生きることに意味を見出せない人たちがいます。
不登校、引きこもり、うつ病―。自分には非がないことや、生まれ持った障害や特性を理由に、社会や学校になじめない人もいます。
「普通に生きる」のが難しい時代です。最悪の場合、それらを理由に、命を絶つケースも珍しくありません。もはや、人生の終末期にたどり着くことは、当たり前ではなくなっています。
いま学校では、課題を解決するための能力(つまり、“ポジティブ・ケイパビリティ”)に注目が寄せられています。
社会に出ると、答えが一つではない課題にぶつかります。そうしたときに、解決に導けるだけの力を「主体的・対話的な学び」を通じて育みましょうというんです。
悩みを抱えた人に備わる力
そうやって解決できるものもあれば、どうしたって解決できないものもあります。
もしかしたら、解決できない課題の方が多いかもしれません。
そんなとき、目の前のどうにもならないことに、どうやって向き合うか。“ネガティブ・ケイパビリティ”の真価が問われます。
わたしは、この力、生まれつき備わっているものではないと思います。
立ちはだかる障壁にぶつかり、跳ね返されて、立ち上がってまたぶつかる。そうやって失敗や葛藤を繰り返しているうちに、少しずつ身に付くものではないでしょうか。
わたしにとってのそれは、アトピーなんだと思います。
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掻かなければよくなるのに、かゆみに負けてまた掻いてしまう。自分に負けるような気がして、情けなくなります。
どんなに体を掻きむしっても、死にません。でも、改善➔悪化➔改善➔悪化を繰り返しているうちに、ふと「いっそ死にたい」という思いがよぎることがあります。
悩みというものは、当事者にしか分からない苦しみがあるんです。 不登校や引きこもり、うつ病―。どれも同じことだと思います。
もしかしたら、あなたも気が付かないうちに、“ネガティブ・ケイパビリティ”を備えているかもしれません。
きっと困難の中にある人ほど、大きな力になっていることでしょう。
自分の内にある“ネガティブ・ケイパビリティ”を自覚することが大切だと思います。
お読みいただき、ありがとうございました😊
ご興味があれば、こちらの本をおすすめします。精神科医で作家の帚木蓬生さんが解説する“ネガティブ・ケイパビリティ”の決定版です。